気づけば
気づけば、と、思うばかりであります。ここのところ。
気づけば、もう8月も終わる。
気づけば、就職活動が始まった。
気づけば、恋人になって4ヶ月。
気づけば、実家に帰れず半年が経つ。
気づけば、卒業制作〆切まであと3ヶ月。
気づけば、プリントが30枚。3ヶ月でやっと30枚。。
学生最後の1年、気づけば、と思うことばかりで、
周りはどんどん進んでて、自分自身は着いていけずに、どこか置いていかれているような、そんな感覚です。
伝えたいことは頭の中でグルグル回っているのに、言葉が捕まらない、そんな感覚です。
気づけば、死んでいるのかもしれません。
言い過ぎか
どんなものにも敏感でありたい。
写真を撮るときだけは、せめてその時だけは、敏感でありたい。
制作に夢中になっていて、最近はそんなことを考えています。
生々しく、やさしい写真を撮り続けたい。
最近はプリントも溜まってきたから、師や級友たちに写真を見せられるようになった。
すると言われる、「やさしい写真だね」と。
してやったり。嬉しいです。
しかしもっと生々しく、オカルトチックなくらいまで追求したい。
日々模索。
写真家を目指すうえで必要なことのひとつに、「師を持つこと」と西井一夫は言っていた。
私には幸い、師がふたりいる。
これから先も増えるだろう。いろんな人と出会いたい。
私には写真のことだけを考えられる時間が十分にあり、働く場所もあり、お金はいくらあっても足りないけれど、いま写真をやるには十分ある。学校にいれば暗室も使えるし。
実に恵まれた環境である。恋人からは羨ましいと言われる。(どこか自分を悲観していたいのか、羨ましいと言われるのは苦手だけれど、)
卒業制作も面白くなってきた。
自分の撮っている写真を師に見てもらうことで気づかせてもらえることがたくさんある。
私が何を撮りたがるのか、どういうところが魅力なのか。
どうやら、意外と繊細だったり、意外と器用にこなしちゃったりしてるらしい。
落ち込むこともあるけれど、
人生、谷だから。
落ちたら上がるもんだから。って盟友のツバサくんが言ってくれた。
早くふるさとに帰りたいけれど、帰れないので、いかに制作を真剣にやれるか、ですね。
今、やれることをやります。
そんな近況でした。